出る杭リケジョ起業物語

青森県在住のなしえです。2017年度起業にむけて奮闘中です!起業に向けた準備や自分の事業について記していきますので、もし同じように起業を目指している方はぜひ仲良くしてください。

【参加費は参加者へ 〜お金っていうおもちゃで遊ぼう】に見る心配の正体

寒くなって来ましたね~@青森
今週末にはタイヤ交換をしないとそろそろ初雪になりそうです。

さて、今日は
【参加費は参加者へ
〜お金っていうおもちゃで遊ぼう】
というイベントに見る、心配の正体について考えてみたいと思います。
どんなイベントかはこちらからご覧下さい。


私も初見では「なんか怪しい。。。?」と思いました。私は参加しませんでしたが、友人が参加したそうでそれにまつわる話から「他人に対して心配する」気持ちについて考えてみました。
このシステム、一見すると怪しいのですが、
・クローズドなイベント
・参加費はあくまで参加している人の中で回っている
・自分のやりたい事を明らかにする
・自分のお金を出したい所に出す
・見返りは求めない
とざっくりですが、「寄付」「クラウドファンディング」の一種と私は解釈しました。
お金というおもちゃと表現されていること、個人情報(口座番号)を多数の人に後悔することに嫌悪感がありましたが、それは「お金はおもちゃじゃないという躾(すりこみ)の結果」であり、「お金はモノや出来事と交換するための手段」、「口座番号だけでは何も出来ない(成り代わって引き出すとか)」ことを考えると無意味な発想なのは明らかです。

彼女のところには「お金ないの?」「ついにおかしくなった?」という心配の声が共通の友人を通してあったそうで、「私、かわいそうな人認定された!(怒)」「なんで直接私に言わないのか?(怒)」と私のところにぐちメールが。
上記のように解釈すると、彼女の怒りはもっともなのです。
極論言うと「私のことだ、あなたには迷惑かけてないでしょ?」です。
ただ、彼女の周りには彼女を「下に見ていた」人たちが居たという事が明らかになった(ついでに言うと、それを彼女は今まで気付かなかった)だけです。

ここで、「心配」する時の両者の関係を見ると、多くは心配する側の方が優位な場合が多いかと思います。親が子を心配したりするケースは正にこれです。優位な立場の人間が、自分より劣位な人に対して、自分の尺度に到達していないことを知らしめる行為が「心配」なのかなと私はこのことを通して解釈しました。

私は彼女に対してどうかと言うと、「心配」のしの字もなく、ふーんそうなのねーで終わりました(笑)
お金の話は多分困ってない(収入は少ないのは知っているけど、その中でやりくりしてるから)のも知ってるし、彼女が彼女のお金をどう使おうかが、どういう個人情報を掲載しようが、何を望んでお金を集めたいのかは私がコントロールすることじゃないので、私の尺度を彼女に当てはめる必要がないのです。フラットな関係だから、心配する必要もなかったのです。

とはいえ、例えば相手の行為が命に関わるような事態の時は別ですがね。(´×ω×`)

心配されるとつい「相手に思われてる」と感じるかも知れませんし、心配する人は優しい人と思われます。しかしそこには見えない上下関係があるかもしれませんね。